学習塾ブログ / 地震による火災

2018年09月19日

地震による火災

「東日本大震災」(2011年)は今の中学生や高校生は記憶にあるでしょう。この時は「津波火災」の恐ろしさを多くの人が知るところとなりました。津波火災とは、津波で流された家屋や車が火災を起こし、それが沿岸に流れ着いて類焼する火災です。ただ、全体としては地震火災の直接原因は電気関係が6割以上でした。

その地震が生起した時代の生活形態により火災原因は変わります。今の高校生が産まれる前、1995年1月に神戸市が壊滅的被害を受けた「阪神淡路大震災」が起こりました。6434名の死者を出す大災害でした。

この時は火災でかなり大きな被害が出ましたが、大きな原因の一つに「通電火災」がありました。この火災は電気ストーブなどの電化製品は地震で電気が止まれば消えますが、住民が避難した後,停電状態が復旧すれば復活して可燃物と接触すれば火災原因になります。この火災は無人の家屋から突如猛烈な火が出てくる訳で大変恐ろしいものです。

この対策は簡単で避難する際にブレーカを落としていけばいいのです。現在は感震ブレーカーを設置することで防止することが出来ます。いずれにせよ、この通電火災がクローズアップされたのがこの大地震であり、そこから教訓が生まれました。

今から95年前。1923年(大正12年)10万5千人以上の死者を出した「関東大震災」がありました。圧死者などは1万1千人ほどで大部分は火災の犠牲者でした。つまり9割ほどが焼死者です。この大災害以来、日本人は地震とそれが原因で生じる火災の恐ろしさを身をもって自覚しました。

その火災原因。丁度お昼どきで昼食の準備中でした。「かまど」が47%、「薬品」が25%、七輪が14%・・・。(七輪というのは練炭などを燃料にして煮炊きや焼き物をする調理器具です。)「薬品」に意外な感じを持つ人も多いと思います。震災後も工場や研究所での薬品の安全管理は強調されているようです。

ところで、「関東大震災」というドキュメンタリーを書いている吉村昭という小説家がいます。戦史ものや歴史小説でも精確な資料探査、現地調査、丹念なインタビューで定評がある作家です。三陸津波に関する貴重な作品もあります。その人物が平成11年、岩手県田野畑村(明治三陸津波、昭和三陸津波、東日本大震災の平成の三陸津波で多数の死者を出した村)で講演した記録が死後見つかりました。最後にその一部を引用します。

「関東大震災」というドキュメントを書いたあと、9月1日が震災の日というので、NHKテレビの特別番組に私も呼ばれて行きました。そこに東京都の災害部長という人が来ていて、その人と話したんですが、とんちんかんなんですね。

「発火原因は何ですか」「それは七輪の火です」「そのほかにありませんか」「いや全然ありません」
話にならないのです。その膨大な報告書(関東大震災)を東京都の責任者が読んでない。それは岩波書店から出ていて、私も持っているのです。そういうものを災害の部長が一切読んでいない。     
(文春文庫「吉村昭が伝えたかったこと」P.63)

これは「文藝春秋」平成23年9月臨時増刊号に載ったものですが、この講演自体は1970年代ですから美濃部都政の時代の話ですね。しかし、驚くべき話ですね。

ベストの広場9月号
代表エッセイより