学習塾ブログ / 「信長公記」を読む

2016年08月24日

「信長公記」を読む

「信長公記」という史料があります。これは織田信長の家来で信長よりも7歳年長であった太田牛一が信長の死後18年くらいたった慶長のころ、要するに関ヶ原の合戦のころ著した信長公の伝記です。ただ長い間に書きためていたメモ的記述を集大成したものと考えられています。当時の書簡類などの史料とも符合する事実も多く、とにかく身近で直接言動を目撃した同時代者の記録ですから信長に関する第一級の史料です。

信長に関する歴史物語はほとんどがこの「信長公記」の記述が基本資料になっています。今回、通読してみました。桶狭間から石山本願寺との戦いや武田攻め、本能寺の変まで信長の歴史は知っていることが多いので読みやすいわけです。

長島や越前の一向一揆における殲滅戦や比叡山延暦寺の焼き討ちにみられるように織田信長というと残虐な戦国大名というイメージがありますが、そういう単純なものではないという印象です。一方、信長を政治的革新者としてやたらと持ち上げる傾向もありますが、これも「信長公記」の実像を冷静にみる必要があると思われます。

信長は、自分に敵対する勢力に激しい敵愾心を持ちます。また、宗教を笠に着て私欲を貪る輩が大嫌いです。ただ、宗教そのものの社会的な意味は理解していたと思われます。合理的で現実的で下々の実情もかなり分かっています。ですから部下の武将には懇切丁寧な指示を出します。自己流ではありますが正義感は強く、行動に陰ひなたのある家来には厳しく対応します。

こんなエピソードが出ています。近江の国の石馬寺に無辺という旅の僧が逗留しており、不思議な霊験を示すために町の評判になり、昼も夜も相応の謝礼を持参した男女が群れ集まっていた。これを聞き及んだ信長は一度面会がしたいということになり、石馬寺の僧に連れられ安土に出頭して引見を受けた。無辺は信長に客僧の生国はどこかと聞かれると、「無辺(無限の世界)でございます」。唐人か天竺人か問うと「ただの修行者でございます」。信長は人間は地上でしか生まれないから、それ以外で生まれたということは妖怪かもしれないから火で炙ってみようと言い、火の用意をするよう命じた。これを聞いた無辺はさすがに「出羽の羽黒山でございますと」応えた。結局、仏教をだしにして私欲を遂げる不道徳な僧であったわけである。信長は続いて、それでは霊験をみせてほしいと畳みかけたが、一向に現れなかった。信長は、山中に住む下賎のものにも劣る輩と断じて罰を与え追放した。その後、無辺の別の罪業が明らかになったため、先々こうした輩が出てこないためにと領国各地に命令を下し、無辺を捕らえさせ糾明し処刑した。

他に京に住み和泉の堺で人身売買をしていた女を成敗した話。美濃と近江の境の山中で乞食をしていた者を周辺の村人全員に命じて、信長自身が木綿20反を原資として下賜して力を合わせて給養することを要請した話などもあります。

合戦や政治交渉の話よりも、こうした歴史の表に出てこないエピソードに信長の人間の本質的な一面を見ることが出来ます。そうした意味で面白い著作です。

【塾長コラム】