学習塾ブログ / 神社とは何か

2017年08月23日

神社とは何か

手元に『神社の由来がわかる小辞典』という本がある。國學院大學の三橋健教授が執筆しており、辞典というより読み物という印象の書物です。神社の定義、歴史、祭神、祭祀参拝、建築などなど系統的、理論的に説明されている。

神社に関して勉強するのに便利な参考書です。なるほどそうだったのかという箇所もたくさんありますが、驚いたのが、神社の門のような「鳥居」という言葉の意味が分かってないらしいのです。言葉は難しい。

参拝の作法も現在では「二拝・二拍手・一拝」が一般的ですが、歴史的に見ると「両段再拝」という作法がもっとも普通に行われてきたとのこと。これは神前で二度拝礼した後、心静かに祈念し、さらに二度拝礼する作法で別名を四度拝というとある。

伊勢神宮では八度拝(起拝を四度行い、ついでに八拍手をし、軽く一拍手し、最後に一拝。これを二度繰り返す)などとある。伊勢神宮を参拝したときそんな参拝していた人がいたかなあと思いますが、正しくはそうらしい。出雲大社は「二拝・四拍手・一拝」とのこと。参拝もなかなか難しいのです。

さて、この本を読んでいた晩に驚いたことがあります。それは次のような表現です。

「本殿をもたない神社は、背後にある『神体山』『神地』『神木』などを崇拝していたことから、神社は自然崇拝という宗教観念をずっともちつづけてきたといわれる。しかし、これは表面的な理解である。神道の道は、山や滝などの自然物に憑依(ひょうい)したり化現したりするが、自然物が神になることはありえないからである。」

一般に、日本の古い宗教観念は、原始的な宗教形態の一つであるアミニズム(生物、無機物をとわずその中に霊が宿っているとする信仰)の一種だろうという観念があるように思っていましたが、三橋教授は「そうじゃない」と言っています。

古神道とアミニズムの関連は如何というような難しい議論はさておいて、この本では自然物はそのものとして神になるはずがないと言っています。神や霊は自然物とは違う(例えば精神世界のようなところ)世界におわして、それが自然物を依代(よりしろ)として憑依する限りにおいて自然物が神々しい存在になるという理解かと思う。 筆者は春日大社を例に取り自説を展開しています。これはこれでなかなか説得力があるのですが、おそらく反論もあるのでしょう。もし、そうだとしたら日本の古い信仰は、素朴なアミニズムとは違いもっと精神性の高いものなのかもしれません。

そういえば、日本の古い信仰には、九十九神という発想もあります。道具類でも九十九年経た後に霊が宿ると。しかし、これは百鬼夜行などの話もあって、妖怪にも繋がってくる。なかなか面白い。

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